いつまで命はつづくのか

小林麻央さんが逝かれました。

自分は、ふだんテレビもあまり見ませんし、芸能関連の話題も興味を持つ方ではありません。
興味本位、あるいは、ネガティブな話題が多く、あえてそうしたものに触れる機会を極力持たないようにしたいからです。

それでも、世捨て人ではないので、多少のネットでニュースくらいはのぞいてみます。
麻央さんの闘病生活や海老蔵さんの様子は、PCを開いてネットを見れば、すぐに飛び込んでくるほどに話題になっていたので、詳細は存じませんが、時折拝読していました。

深刻な状況であることは察せられましたが、やはり、訃報を知るととても早くお亡くなりになられた思いがして、ただただ、残念でした。

幼き我が子を思いながら、精一杯、生きぬかれて天に召された麻央さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

誰もが、あと何年生きられるかはわかりません。

私もあなたも

明日の朝、目が覚めるかさえも、誰にもわからないのです。

おそらく無意識にですが、人は自分だけは、容易に死ぬことはないだろうと思い込んでいます。

本当はそうではありません。
誰も明日のことはわからないはずです。

命の境を潜り抜けた方は、このことに早く気がつかれます。

親や環境も決められたところで生まれてきます。
スピリチュアル的には、そこに意味があり、選んで生まれてきたと言われますが、
自意識のレベルでは、やはり、生まれてきたときの境遇は選べないと感じるはずです。

つまり、あえて俗な言い方をすれば、生まれてきたときから不平等です。

お金持ちで容姿端麗、健康に生まれてくるのと、
その逆の場合では、後者の人は、かなりしんどい状態のスタートと感じると思います。

そして、生きていれば、

齢をとり老いる

病気になることもある

怪我をすることもある

そして、必ず

死がおとずれます

生きていくことは不平等で、ツラく悲しい思いもたくさん背負いながら、日々を繰り返すことでもある

では、

生きていることは

生まれてくることは

ムダでしょうか?

小林麻央さんの懸命な生き方とささえる家族の姿を知り、自分はとても生きることを考えさせられました。

やはり、生まれ、生きて、死を迎えることには意味がある

強烈にそう感じました。

大きな節目を迎えられた海老蔵さんのご家族

そして、同じような境遇を生きられている多くの方々

どうか、さらに力強く生を歩まれることを願い、今日は筆をおきます。