秦野は桜が満開の時期を迎えました。
と、思っていたら、お休みの日曜の午後。
弘法山に昼間の桜を見に行ってみたら、もう今日の強風で桜は半分くらいに散り始めてしまいました。
この写真は数日前のもの。
当院のほど近くにある弘済学園の目の前の桜の木です。
桜も色々な種類があり、それぞれが個性豊かに美しく咲き誇っていました。
その更に奥まった少し山沿いにお地蔵さんがおられるのですが、そこへ向かう途中のミカン畑の中で咲いているのは大島桜のようです。
遠目からですが、これもまた美しく咲いています。
桜は咲き始めると、あっという間に満開となり、やがて散っていきます。
まさに華々しく咲いて、儚いほどの速さでその花びらは落ちていく。
人の一生も、とても短きもの。
私自身、不惑を過ぎた今
とても、そう思うようになりました。
春は出会いと別れの時期でもあります。
先日、長女が小学校を、次女が幼稚園をそれぞれ卒業、卒園しました。
子どもたちだけではなく、大人達も別れや新たな出会いが多い季節です。
一年あまり当院に通院くださった還暦の男性。
会社員時代、寝る間を惜しんで働き続けてこられ、その能力が認められ会社の役員をされていました。
いつも、真っ白いレクサスで朝一の時間帯に颯爽とみえられます。
見た目も筋肉質で眼光鋭く、貫禄は十分。
なにがしかの人だと感じました。
初めて来院された際、大きな体の歪みとクセがあり、頭蓋骨も左右差が大きかったので、これは身体的な要因だけではない。
大きなストレスを抱えながら、乗り越えられてきた方だと直感しました。
施術をしながらお話をうかがっていると、やはり、そうでした。
優秀な方なので、若手の頃から重要なポジションについておられて、かなりの体調不良ががあってもお休みもロクに取れない。
元より、休んでなどいられない。仲間も頑張っている。
自分も迷惑はかけられない。
そんな気持ちで必死に頑張られてきたそうです。
過労死問題が大きくクローズアップされる昨今ですが、この男性に言わせれば、必死に働いていれば寝込むような風邪などひかない。
人生のほとんどは気合で成り立っている。そう仰っていました。
人には、キャパの違いがあります。
大食漢の方もいれば、ごく少食の方もいられる。
酒豪もいれば、僕のような下戸もいる(お酒の味は何でも好きだけど、体質的に飲めません)
精神的な強弱、体調不良への耐性。
それらにも差異はあります。
なので、あんまり頑張り過ぎるのはどうかと思いますが、戦時中を生き抜いてきた世代のご高齢の方や、この男性のように懸命に頑張りぬいてきた人とお話しするとき。
やはり、ある程度の気合は必要なのではないだろうか。
その様に感じることもあります。
翻って、自律神経失調症。
この自律神経の乱れや、ストレス過敏な状態におちいっている方に、一概に気合を入れてと伝えても逆効果になる場合もあります。
その辺の気合の入れどころと、完全に休養が必要なところに絶妙なバランスがある気がしています。
ただ、人は生き抜いて行く中で、どこかで気合いが必要なのはまちがいない。
斎藤一人さんかどなたかの本で書いてあったもので、その通りだと思った記憶があります。
それをしなければ、それを達成しなければ、明日あなたは銃殺にされます。
そう言われれば、殆どの人は、自分の課せられた務めを果たす。それが仮に命令であっても、必死になってやる。
一人さんの話は強烈な例え話ですが、時には必死になってやる必要もあるということです。
これまでの会話の中で、いくつかの、これからの人生の選択肢を寡黙な男性が話してきてくださったのですが、今回話されたのは突然のことでした。
福岡県に家族を置いて単身赴任することになったそうです。
会社の顧問役員として招聘される。
還暦を過ぎ、現役を退いた後も以前の仲間から役員待遇で招かれるのは、この方が如何に優秀で誠実な仕事をしてきたかが伺われました。
もちろん、その気合も買われてのことに違いありません。
平塚真田の東海大学前駅に割と近い美味しいケーキ屋さんのロールケーキを最後の手土産に、はにかみながら別れを告げられた男性と長々と抱擁を交わさせて頂きました。
分厚い胸板を感じながら、このまま隠居するご仁ではないな。
そう思いました。
また、戻った時にスポットで伺います。
先生もお元気で。
笑顔でお帰りになられるお車を見送ると、最後に来院された車は、見惚れるほど流麗で真っ白なスカイライン。
気合いの男が颯爽と新しい旅立ちに向かわれました。
人には、何歳になってもあらゆる可能性が残されています。
自分の人生は、すべて自分の手の中にあり、そして、全てが運まかせともいえる。
いずれにせよ、わからないから、
たまらない。
不安をおそれるな
一歩踏み出せ!
ムーンストーン 田島貴男
世界中がHappyでありますように